スマホ版へ

links

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

categories

archives

「従軍慰安婦」について

0
    朝日新聞の「従軍慰安婦」誤報訂正報道もあり、本問題が注目を集めていますが、
    実際には何が起こっていたのかということが知りたくて、二冊の本を読みました。
     
    従軍慰安婦」 吉見 義明著 岩波新書
    慰安婦と戦場の性」 秦 郁彦著 新潮選書


    二人の政治的な立場を簡単に表現すると吉見氏が「従軍慰安婦」に対して日本軍は
    有罪であるという意見で秦氏は有罪とされているものの多くは無罪に近いというものです。
    (完全に無罪とは言っていないと思います。)

    両者とも優れた歴史学者で多くの資料から真実の姿を見出していきます。

    まず、この議論をする前に前提としておきたいことが何点かあります。

    一点は本論は真実がどうであったかということを考察するものです。
    事実に対する政治的な態度や行動をどうすべきかという問題には触れません。

    真実が何かを明らかにするのは歴史学者の役目で一般人はその歴史学者の論文を読むことで、
    その正否を判断するのみです。

    そして、その真実や虚構を材料にして政治を動かしていくのは政治家の役目です。
    黒を白とまたは、その逆に白を黒と宣伝する場合も政治の中では当然あることです。
    現実にはグレーである真実をどちらかの色に染め上げるプロパガンダも政治の世界では
    当たり前の姿です。

    この真実を追求することと、政治的にどう行動していくかということは全く別の問題です。

    政治とは力を持った強制力に他なりません。誰を救い、誰を救わないかを決めるのが政治です。
    これは別に政治が邪悪だと言っているわけではなく、真実の追求とは異なる世界の話なのです。

    原発・放射能問題もこれと同様です。
    原発や放射能がどういった時にどの程度、危険かという問題とそのリスクとリターンを計算しつつ、
    政治的に一つの解答を出していくということとは別の問題です。

    反原発派の「原発は危険だからやめてしまえ」も原発継続派の「安全だから続けよう」も両者それぞれ
    ともに別々の問題を混同して議論しています。

    原発が安全か危険かという問題、もしくは放射能が安全か危険かという問題は専門家がするべき問題で
    専門外のものたちは、その論文の正否を判定するしかないのです。

    そして政治のやるべき仕事は安全か危険かという真実の姿から、ある結論を出し、世間一般の人たちに
    納得させることでしかないのです。

    「人々を納得させること」こそが政治の果たすべき役割です。

    もう一点、過去の人々の姿を明らかにするにあたって、大事なことがあります。
    それは過去の人々の罪との向き合い方です。

    まず明らかなのは、過去の人々の罪は、その子孫達の罪ではないということです。

    例えば、先祖に犯罪者がいたとしても、その子孫には罪はありません。
    一人の罪を一族が背負うような「九族皆殺し」ははるか過去の話です。

    近代社会は独立した個人の罪は、その個人のみに科せられる社会です。

    しかし唯一その例外があります。それは法人の罪です。
    法人とは基本的にゴーイングコンサーン、永続的に存在することを前提に作られています。
    この一点が必ず死が訪れる個人とは決定的に異なる点です。
    もちろん、法人である会社も潰れたり、国家も消滅することもあります。しかし、法人は基本的に
    永遠に続くものとして、社会の中で取り扱われているのです。

    後何年かで消滅してしまい、その責任もきえてしまう国家を誰が信用するでしょうか。
    皆、永遠ではないとしてもかなりの長い間続くであろうと思っているからこそ法人と取引をするのです。

    この原則から、国家や企業の犯した罪は消えないのです。
    (被害者がいなくなって賠償権がなくなることはあるかもしれません。また、時効については
    罪が無くなるのではなく、その罪を裁判にかけたり賠償を請求することが無くなるだけです。)

    つまり「従軍慰安婦」問題で日本国が有罪ならば、現在生きていて本件と直接関係のない個人には
    その責任はないが、国家には責任が存在するということです。
    無関係の個人は過去の人の行為をどう評価するかという点で非難されることがあるだけです。
    これが近代社会のルールです。

    もう一つ付け加えるならば、先祖が罪を犯していたとしても、その先祖に感謝の念をもつということは
    また別のことだということです。

    人は誰しも完璧な存在ではありません。自らのご先祖様がひどいことをしていたとしても、
    それとは別の次元で、その子孫はご先祖様には感謝すべきなのです。
    これは人なら誰でも理解できるであろう情の部分の話です。

    先祖に感謝することを重視するために、その行為に対して正確な判断が出来ないというのは、
    この問題を混同視しているからです。

    感謝と行為の評価は全く別問題です。

    この責任論と過去の人達との関係の作り方は世界中の人に理解されるグローバルバリューです。



    さて、前置きが長くなりましたが本論に入ります。

    まず「従軍慰安婦」問題を考える視点を三つあげます。

    (1)日本軍や政府がその運営に関与したかどうか。

    (2)「慰安婦」の募集は適切であったか。

    (3)「慰安所」での「慰安婦」の生活は十分なものであったか。


    これらの三点で日本政府が白か黒かを考えていきます。

    ちなみに当時の日本は事実上の公娼制度があったとはいえ、建前の部分では廃止すべきものであると
    されていました。当時の公娼制度は日本が批准した国際条約にも違反している状態でした。
    政府は段階的な問題解決を目指していましたが、それは公娼制度の根絶にはほど遠いものでした。

    もちろん諸外国も程度の差はあれ理想的な状態ではありませんでした。

    この建前論から議論をすると「従軍慰安婦」は間違いなく「人身売買」だということになってしまいます。

    この議論をすると「従軍慰安婦」の実態がどうであったのかという観点が見えなくなってしまいますので、
    本論では「人身売買論」については述べません。

    但し、この建前論に正面をきって反論するのは難しいということは認識してください。

    現在の国際社会の建前論から見れば日本は黒なのです。


    (1)日本軍や政府の関与はあったか。

    この点でもし、軍や政府の関与がなければ、その他の二点で「慰安婦」が悲惨な状況に置かれていても、
    国の責任が回避される可能性が出てきます。
    また関与があっても「慰安婦」が自由意思で業務をなし、その権利が十分守られていたなら、
    また責任回避が出来るでしょう。

    さて実態はどうだったでしょうか。

    結論から言えば軍の直営の施設もあれば民間の運営に軍が関与している場合もあり、その実態は
    まちまちであるということです。軍の関与の多少もそれぞれです。もし直営を黒、完全な民営を白と
    するなら、黒から黒に近いグレー、白に近いグレー、白まであったということです。
    もちろん白である完全な民営の場合は、どう考えても「従軍慰安婦」という定義からは外れてくるでしょう。

    関与について黒からグレーという状態が一定の割合あるという事実は日本の責任となる前提条件が
    一定の割合で整ったということを意味しています。

    関与があったかなかったかが問題であって、関与が「慰安婦」に対してよい方向であったか悪い方向で
    あったかは問題ではないのです。

    つまり(2)(3)以降で黒またはグレーならば、日本国に責任がないということは出来ないのです。

    (2)「慰安婦」の募集は適切であったか。

    こちらは植民地と占領地によって傾向が分かれます。
    まず朝鮮や台湾といった植民地での募集がどのように行われたということについて論じます。

    植民地では研究者の間で「狭義の強制連行」といわれる軍隊や警察の権力を使用しての
    女性の強制連行は無かったようです。少なくとも現時点で証拠は発見されてはいません。
    こちらは昨今話題の「済州島での強制連行という吉田証言の嘘」と合致しています。
    この一点では日本は白となります。

    しかしながら「広義の強制連行」は存在したというのが研究者の意見です。
    これの多くは募集員(女衒)が騙したり甘言を持ってして女性を集めたようです。
    実際には仕事の内容も知らないで遠方まで連れていかれ、しかたなしに「従軍慰安婦」と
    された方々も多くいたようです。

    また、前借金という制度で実質上の人身売買として「従軍慰安婦」となっている人もいます。

    さらに悲劇的なのは日本人の「従軍慰安婦」は元々の娼婦が一山当てて稼ごうとした人が
    多かったのに比べて朝鮮人は売春とは縁も無かった女性が「従軍慰安婦」となっている割合が
    多かったことである。未成年も少なくない割合いたという。

    これに対する日本軍の監督は適切であったとは言えません。

    募集員だけが悪いと罪を背負わせることは出来ません。
    募集員は「慰安所」を直接経営しているもの(多くの場合は民間人)から「慰安婦」の募集を
    依頼されている業者です。そして軍は「慰安所」の営業許可をはじめ様々な点で「慰安所」の経営者を
    コントロール出来たし、実際行っていました。

    日本軍でも担当者が良心的な場合は、未成年だと判明した時点で送り返す等の処置をしている場合が
    あります。問題はこの措置が個人的な善行としてしか行われていなかった点にあります。
    本来ならば日本軍は本人の同意を得ていない「慰安婦」は即刻送り返すといった措置を軍の命令で
    全面的に行わなければならなかった。

    この状況下での募集における責任は当然、免れません。

    次に占領地における「慰安婦」の募集について論じます。

    こちらも募集方法はいくつかの場合に分かれます。

    まずは
    (1)募集員(女衒)が女性を集めた例
    (2)地域の長老等の実力者に女性の周旋を依頼する例
    (3)軍隊が直接強制的に女性を集めた例
    の三例に分けられます。

    第一例の募集員(女衒)の場合も前例のように騙したり甘言を持ってして周旋を行った場合も
    当然あったでしょう。

    第二例の地域の実力者に依頼する場合も、その依頼を拒否する権利を相手が有していたかどうかが争点
    となります。当時の状況から占領地の人がそれを拒否することは難かしい例もあったかと思われます。

    例えば、終戦前後の満洲でソ連軍は第三例の強姦や第二例と同様の行為をしました。
    これを強姦は有罪だが、第二例は合意があったからソ連軍は無罪だと言うことが出来るでしょうか。
    常識的な感覚では有罪と言われても仕方のない行為です。

    もちろん実際には第一例、第二例ともに、地元の売春婦が積極的に要請を受けた場合も多々
    あったでしょう。しかし、そうではなく本人が納得しないまま、「慰安婦」にされる例もあったでしょう。
    その場合は黒もしくは黒に近いグレーということになるでしょう。

    第三例は全体的には現場の兵士の行動を軍本部が制御出来なかったと言えます。
    日本兵の強姦例は少なくなかったようです。軍の「慰安所」設置の目的の一つが占領地における
    強姦防止であったことからもうかがわれます。日本軍の憲兵(軍隊の警察)は優秀でしたが、
    それでも強姦を止めることは出来なかったようです。ひどい兵士は憲兵への発覚を恐れて被害者を
    殺害する例もあったようです。強姦の後、監禁して継続的に「慰安婦」業務にあたらせる例もありました。

    この第三例が「慰安婦」にあたるかという点では両者で意見の相違があります。
    吉見氏は第三例は「慰安婦」にあたり、日本軍は兵士をコントロール出来なかったということで黒の
    判定をしています。
    秦氏の判定は、これは「慰安婦」の範疇には入らず、犯罪行為であるというものです。
    そして、日本軍内の処罰、BC級戦犯としての処罰が終わっているので解決済みであるというものです。

    第三例は間違いなく有罪と認定される行為なので、それを「慰安婦」の範囲に入れれば日本は有罪ですし
    「慰安婦」から外せば「従軍慰安婦」問題としては有罪を免れる可能性が出てきます。

    (3)「慰安所」での「慰安婦」の生活は十分なものであったか。

    ここでは「慰安婦」の生活がどのようであったかということを考えます。

    まず、知っておかねばならないことは、当時の一般の公娼は前借金等で金銭的に縛られひどい状況下に
    あるものが多かったということです。

    前借金を背負いつつ、客が払った料金の分配率が悪いことや、様々な名目で引かれていく費用で
    借金がいつまでたっても返せないで、金銭で縛られた奴隷状態に置かれた人も少なくなかったようです。

    これに比べれば「慰安婦」は分配率が有利にされていたり、全般的に通常の公娼よりも金銭的には
    良かった場合が見られます。しかしながら、旧来のものに縛られて「慰安婦」が金銭的に縛られていた
    状況もありました。

    次に「慰安婦」の権利がどの程度、守られていたかということを考察します。

    様々な権利、中でも最も重要なのは、客を断る権利や仕事を辞める権利を持っていたかということです。

    これも状況はまちまちで客を強制的に取らされる劣悪な環境にいたものもいれば、
    兵士に対して有利な立場に立っていたものもいました。

    契約満了後も後任がいないことや、見知らぬ土地で頼るものもいない中や戦地からの移動が難しくて
    辞めることが出来ないものもいました。

    生活などを、総じてみれば、かなりよい条件で暮らせるものもいる一方、
    劣悪な環境に置かれていたものもいました。

    これを白黒で判定するなら、グレーで白から黒まで存在したという、全体としてはっきりしない状況が
    浮かび上がります。


    まとめ

    以上、3点からから考えるに「従軍慰安婦」に対して、日本の責任は真っ白だとか真っ黒だとかは
    言えないものと判断されます。

    例えば、現地の民間の売春宿を使用した場合や、高級士官が個人的な愛人契約を結んでいた例は
    白と言えるでしょうが、それが全てではありません。

    占領地で行った強制的な「従軍慰安婦」の徴用や強姦等は、その多くが公的な軍の活動ではなかった
    でしょうが、黒の判定を受けるでしょう。しかし、これも全体の一部になります。

    「従軍慰安婦」の事例の多くはグレーゾーンで白から黒までの濃淡のある姿です。

    この真実の姿から判断して「従軍慰安婦」を全て黒だったとか全て白だったという話をする人は
    真実を誠実に調べるということをしていないか、真実を知りつつプロパガンダを行っているかの
    どちらかでしょう。

    何れも私が考えるところの「知的誠実」とは遠いところにあります。

    真実の姿はこの様な複雑な姿をしていたのでしょう。
    そして、プロパガンダが説く姿は真実の姿とは遠いところにあるのではないでしょうか。

    皆さんも一度この二冊を読むことをお勧めします。
    実態調査がしっかりとなされているので 「従軍慰安婦」問題を考えるには外せない二冊だと思います。

    コメント
    コメントする