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2019年の私の誕生日の長すぎる一言

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    本年の私の誕生日として書きたいことを書く。

    もしかすると多くの日本人にとって不快な内容になるかもしれないのでご注意を。

    「隣国・韓国を蔑んだり、日本との対立を進めたり、その破綻を望んだりする者たちは間違っている」

    以下、このテーマで書いていく。

    現在、日韓政府間で様々な軋轢が起きている。

    私の周りでも惨い発言を聞くこともある。

     

    最近、竹島上空でロシア機が領空侵犯をした際に韓国軍機が警告射撃をした事件があった。

    そのニュースに対して「戦争になればいいのに」といった発言を聞いたこともある。

    一瞬、何を言っているのか分からなかった。

    日本が出来ない韓国への軍事侵攻をロシアがやってくれれば、こんなに嬉しいことはないという発言である。

     

    日本人で、この発言に共感を覚える人もいるのではないか。

     

    改めて言おう。その考えは間違っていると。

     

    誤解をしてほしくないが、私は日本が正しいとか韓国が正しいとか言っているわけではない。

    他国へのリスペクトが、あまりにも欠如したような表現をする者は間違っているということだ。

    もう一つ誤解をしてほしくはないが、そういったひどい表現といえども、表現することは自由なのだ。

    その表現を禁止しろというわけではない。

    私のように、その表現が間違っていると考えた人は反対意見を表明すればよい。

    そういった議論の中で、それぞれの人々の考え方が変わっていく。

    それが本稿が目指しているものである。

     

    本稿ではそれぞれの政府の対応の是非については述べない。

     

    すべて合気道の論理で話を進める。

    なぜなら、それは、先ず私が合気道の指導者であること。

    そして合気道は分野を超えた普遍的な価値を持つと考えるからだ。

    合気道の中で、やるべきだ、やるべきではないということが別の世界でも同じように使える。

    そのように考えるからだ。

     

    この私の意見に対して二つの反論があるだろう。

     

    一つは私は合気道など関係がないので、そこから導き出される真理も関係がないというものだ。

     

    それには、少し我慢していただいて、私の合気道から導き出された方法論に付き合ってもらいたい。

    その結論を見て、果たして合気道が合気道外の人に役に立たないのかどうかを判断してほしい。

    勿論、論理の責任は私自身にあり、「合気道の普遍的価値」理論にはない。

    私の論理が稚拙で「合気道の普遍的価値」が証明できなくても、それがないことにはならない。

     

     

    もう一つは私は合気道を、そのような目的でやっていないので「合気道の普遍的価値」など関係がないというものだ。

     

    合気道をどのような目的でやっても構わない。

    少し身体を動かしたいから、ビールを美味しく飲みたいからという理由でも全く問題はない。

    ただ、合気道には目指すべきものがあるという認識はみんなが持たなければならない。

    勿論、全ての人がストイックに稽古に取り組めるわけではないので、

    目指すべきものを理解した上で、そこにはちょっといけないという人はいてもよいのだ。

     

    ビールを飲みながらやる草野球もあってもよいし、

    数年間をストイックに打ち込む高校野球もあってもよいし、

    人間の限界に挑戦するようなプロ野球もあってよい。

     

    ただ、草野球をやっている人が自分は出来ないけれど、高校野球やプロ野球の素晴らしさを

    実感するようでなくてはならないと思うのだ。

    そして自分には出来ないけれど、頂点を目指す人たちを応援するという多くの人の想いがなければならない。

     

    このように多くの人が底辺から上部の文化を支えるような構造、

    ピラミッド構造がないと一つの文化は健全な発展は出来ない。

     

    みんなが一緒で価値も平等である、草野球と大リーグが同じ価値を持つような世界は不自然である。

     

    だから、ビールを飲むためだけに合気道をやっている人にも、

    合気道の本来、目指すべきものへの理解を持ってもらいたいのだ。

     

    話を本筋に戻そう。

     

    合気道の稽古で対立が起こった場合、どのように対応をするか。

    手をがっちり掴まれているときに、足を蹴ったり、その場でもみ合ったりするのは愚策である。

     

    私は、そんな時、こう対処する。

    (1)まず冷静に事態を把握する。

    (2)自分と相手の構造を分析し、対立の原因を理解する。

    (3)より大きな構造を使うことによって、対立を無くするように動く。

     

    例えば、表面上で踏ん張られたときに、自分の身体意識で天地を結ぶ圧倒的なセンター軸を作り、

    その圧倒的な認識力で自分と相手を分析し、相手が頑張っていると思うよりも段違いの規模からの

    センター軸の力によって相手を貫いていく。

     

    踏ん張っている相手に対して表面上で争ったり、文句を言ったり、怪我をしたらいいんだなどと

    思ったりすることは全て愚かなことである。

    もし、技が上手くいかないならば、原因を分析し、自分の能力を高めること以外に解決はない。

     

    (1)まず冷静に事態を把握する。

     

    対立構造に感情をコントロールされてしまうのも理解できる。

    但し、合気道の稽古中に感情を露わにすることは、評価されない。

    相手の踏ん張りや態度に気持ちを乱されるのは、よく分かる。

    ただ、合気道では、それに対して、こちらも感情的になって反応するようなことはしないのだ。

    相手が先に手を出したとか、俺は悪くないという思いも全てコントロールしなければならない。

     

    感情を完全にコントロールしろというわけではない。

    自分パフォーマンスを劣化させるような感情は抑制する、そして表面的な感情表現を避ける。

    それが、国際関係でナショナリズムが関係してくると出来ないというのは、

    やはり合気道の修業が足りないと言わざるを得ない。

     

    嘗て、伝説の名横綱、双葉山は70連勝を目前とした取り組みで敗北したとき「我未だ木鶏足りえず」と述べた。

    木鶏とは中国の古典にある逸話にある、木で作ったもののように相手に動じない鶏の姿を指す。

    闘鶏の最高の境地である。

     

    その姿に比べて、感情的に相手に対処するような態度は、あまりにも惨いと思わないか。

     

    合気道を志すものであれば、そのような感情的な態度はみっともないものであると理解してほしい。

     

    そのような境地は合気道の稽古の中だけで出来るものであって、

    その他のことでは関係なく振る舞うのも仕方がないことだという反論もあろう。

     

    その反論は、合気道の可能性を狭めるものである。

    自分が出来ないからといって、それが不可能なことだと言ってしまうのは不誠実な態度だと言える。

     

    出来なくても構わない。出来るように努力すればよい。

    その結果、やっぱり出来なくても構わない。

    そして出来ない自分を抱えて生きていけばいい。

    それを不可能だと言ってしまうのは、やはり間違っている。

     

    (2)自分と相手の構造を分析し、対立の原因を理解する。

     

    さて、ここで日韓関係の大きな対立構造を分析したい。

     

    簡単に言えば、日本人は朝鮮半島に対して、それ程ひどいことをしていないと思っている。

    韓国人は日本人は朝鮮半島に対して、ひどいことをしてきたと思っている。

     

    このギャップが、本問題の対立の根源だ。

     

    このギャップに対して歴史をさかのぼって考えていく。

     

    日本人は日本が昔から独立国であったと認識している。

    方や朝鮮人は日本は朝鮮の分家のような存在であったと認識している。

     

    日本がどのような状態で誕生したかであるが、日本人は日本書紀にあるように高天原という場所から

    高千穂に天照大御神の孫のニニギノミコトが降臨したというイメージで日本の誕生を捉えている。

    そのニニギノミコトのひ孫の神武天皇が大和地方に攻め入って大和朝廷が出来ていく。

     

    伝説の部分も多いであろうが、日本人の日本国誕生のイメージの大枠は、こうである。

    ここで高千穂は九州であるということは、ほぼ決定的であろうが、高天原はどこであったのかで諸説に分かれる。

    実際にあった場所だという場合もあれば、神話上の架空の地であるという説もある。

     

    この高天原が朝鮮であると考えると、朝鮮人の日本国誕生のイメージに近くなる。

     

    つまり、日本人はどこから日本列島にやってきたかというルーツを

    意識的に考えないで最初から独立国であったという認識を持つ。

     

    方や、朝鮮人はイギリスが朝鮮でアメリカが日本のように思っている。

    ご存知のようにアメリカはイギリスをはじめ西欧各国からの植民で成立した国だ。

    植民前のアメリカには少数のネイティブ・アメリカンが近代文明とは程遠い生活をしていた。

    「朝鮮という文明国からの植民で開かれた日本」これが朝鮮人の日本国誕生のイメージだ。

     

    私の考えでは真実は朝鮮人のイメージに近いのでは思う。

    ただし朝鮮はイギリスではなくアイルランドだ。

    朝鮮文明や日本文明などはない。あるのは中国文明である。

    朝鮮自身が独自の文明を持っていたのではなく、

    中国文明の影響を日本より身近に受けてきて文明化したのだ。

     

    古代に朝鮮半島にあった国々は全て中国の影響下にあった。

    文明国・朝鮮も中国人の植民で出来上がっていったものだ。

    朝鮮人が当時、持っていた文明も中国のものを、そのまま受け継いだものだ。

    日本も朝鮮も中国の文明圏の末端に位置するものに過ぎない。

     

    朝鮮が日本に文明を伝えたのは事実である。

    例えば、百済人が日本に帰化すると政府高官や、それに準ずる高い官職で迎えられることも多かった。

    現代の感覚で言えば朝鮮人はアメリカからやってきたバイリンガル、トリリンガルの超優秀な人材だった。

    ただ、その伝えた文明は中国文明であったということだ。

     

    少し、古代の日本と朝鮮の関係について論じてみたい。

    私の古代の歴史観は岡田英弘説によるところが多い。

     

    白村江の戦というのがある。

    西暦663年、朝鮮半島で滅びた百済の再興を目指し朝鮮に出兵した日本・百済連合軍が

    唐・新羅連合軍に大敗して、命からがら日本にまで逃げてきた戦いだ。

     

    日本がいくら長年の友好国だからといって朝鮮半島の亡国・百済のために

    世界帝国・唐と事を構えるために遠く玄界灘を超えて大軍を派遣した理由が不可解だ。

    やはり、日本と百済の間には歴史的に分家と本家の関係があったのではないかと思う。

     

    日本が分家で百済が本家だ。

     

    白村江の戦に破れ、日本は初めて日本本土と朝鮮半島にまたがる両岸国家をあきらめ

    日本列島だけの独立国を目指すようになる。

     

    その後、白村江の戦に破れた天智天皇の跡を継ぐ天武天皇が日本国の太古からの独立性と

    天武朝の正統性を表すために編纂したのが日本書紀である。

    日本人の日本誕生から古代までの歴史観は、日本書紀や古事記によって出来ている。

    だから、日本は太古から独立国であったとされているのだ。

    両岸国家、朝鮮の分家であったという歴史は隠された。

     

    話を両国関係に戻そう。

     

    朝鮮から見れば、このように昔から世話をしてきた日本が明治以降の近代になって

    ひどいことをしてきたのが許せないのである。

     

    そして、もう一つ、その日本の暴虐に対して朝鮮が一体となって恒常的、組織的な反抗を

    行うことが出来なかったことが許せないのである。ただし、これは口にも出来ない。

    真実を改変して、偽りの物語を語ることでしか自尊心を保つことができない。

     

    私はこれを朝鮮民族だけのだらしなさと言うつもりはない。

    むしろ日本民族も同じように、だらしないことをしている。

    両民族は、この悪弊において、そっくりなのである。

     

    明治以降、第2次大戦の終戦までに日本が朝鮮に行ったことは、ひどいことであると私は判断する。

    私の判断基準は自分の国が同じことをやられたとしたら、どのように考えるかということである。

    自分の国がされて許せないことは他国にしてはいけないのだ。

     

    日本はいくつもひどいことをしているが、その中でも取り返しがつかない例をいくつかあげたい。

     

    1895年、閔妃暗殺事件

    閔妃とは、当時の朝鮮王朝の皇后である。

    それを日本公使の三浦梧楼が私的に集めた集団により、

    朝鮮王宮に襲撃をかけ、暗殺したという事件である。

     

    これが、どれ程とんでもないことか分かるだろうか。

    アメリカや中国の大使や行使が私的にテロリストを集めて、皇居を襲撃し

    美智子上皇后や雅子皇后を殺したとしたらどうであろうか。

    私は、その国を批判するだろうし、それを見て、仕方がなかったなどという日本人も、

    やはり徹底的に批判する。

    独立の志はないのかと。

     

    その後、三浦は数ヶ月入牢するが裁判では無罪となり、旧軍人として厚遇を受け、

    政府の要職を勤めるようになる。

     

    日本が同じことをされたら、その国は簡単に許せないとなるであろう。

    自分の国の王族や皇族を外国人に殺され、その後、犯人は罪を逃れ、

    外国の政府は、その犯人に支援を与えている。

    直接の支援や指示はなかったとしても、その殺害は外国政府が行ったものだと

    判断されても仕方がない。

     

    そんな国の罪は何百年先まで追求されてもしかたがないことである。

    日本は、そんな恐ろしいことを行ったのだ。

     

    もちろん、日本側にも、それなりの理由がある。

     

    閔妃はロシアと組み朝鮮半島から日本の影響を除こうとしていたこと。

    日本の安全保障上、ロシアの朝鮮進出は何としても防がねばならなかったこと。

    朝鮮国王の実父の大院君と閔妃は政治的な対立関係にあり朝鮮王朝内が二分していたこと。

    閔妃本人も、おそらく善良な人間という訳ではなく、反対派の多くを粛清しているであろうこと。

     

    しかしながら、これらの全ての理由があったとしても他国の王族の殺害に政府が関与したり、

    その後の裁きで、それを容認するかのような態度をとるというようなことは絶対に許されない。

     

    そして、日本人の多くの人がこの事実を知らないのではないか。

    たまたまかもしれないが、私が話をした2名は「閔妃暗殺事件」を知らなかった。

     

    私も学校の授業では習った覚えはないが(世界史専攻でした)

    日韓問題を少し考えるならば当然知っておくことである。

     

    もし、「閔妃暗殺事件」を韓国が授業で教えることがあるならば、それは「反日教育」などと

    言えるのであろうか。日本が逆の立場に立ったものとして考えてもらいたい。

     

    その後も、日韓併合を経由して、朝鮮王朝は消滅していく。

    朝鮮王の高宗は、その後、ハーグ密使事件の責任を取り退位、軟禁状態に置かれる。

    高宗の後は息子の純宗が即位するが日本政府の傀儡となる。

    高宗は、次男で皇太子の李垠が日本皇族と結婚する直前に病死している。

    日本による毒殺の噂もあるが真実は定かではない。

     

    今の日本の皇族に置き換えて考えてみよう。

    悠仁親王や愛子内親王がイギリスの王室やアメリカのブッシュ家やケネディ家や

    クリントン家やトランプ家と縁組をして外国に住み、日本との深いつながりを

    切られてしまったら、どうであろうか。

    その後、皇室が消滅してしまったら、どう思うか。

     

    皇室や王室は一度、消滅してしまうと復活させることは、かなり難しい。

    私は取り立てて右翼的な心情を持っているわけではないが、不可逆的な政策は

    出来る限り避けねばならないという考えだ。

    ましてや、それが外国に行った政策となれば、その罪は重い。

     

    実際には、日韓併合と共に朝鮮の経済状態は向上し、朝鮮国民の生活は豊かになる。

    そして、朝鮮人は建前上は日本人と同等と言われながらも、二級国民として扱われていく。

    ここにも本音と建前を使い分けて、日本人ならば分かるであろうと状況に

    あぐらをかく日本人の悪いところが表れている。

     

    その時代としては、仕方がなかった。必要悪だったという反論もあるだろう。

    それならば、時代が変わったならば明確に責任を取る人間が必要だろう。

    必要悪ならば、悪の部分で罪を被る人間がいなければならないであろう。

     

    日本人の無遠慮と無神経さ、それを認めることができない頑迷さ。

    何も出来ないまま状況を受け入れてしまった朝鮮人のだらしなさ、

    それを認めることができない頑迷さ。

     

    よく似た者同士の共同作業で両者の対立は作り上げられている。

     

     

    従軍慰安婦問題

    従軍慰安婦問題も大きく見れば、同じ構造から出来ている。

     

    過去に、この問題を扱ったことがある。

     

    http://blog.aikidomori.com/?eid=210#sequel

     

    題材とした書籍は以下の通り

    従軍慰安婦」 吉見 義明著 岩波新書
    慰安婦と戦場の性」 秦 郁彦著 新潮選書

     

    詳しくはリンク先を見てほしいのだが、簡単に説明するとこうである。

     

    実際には3回しか殴っていないところを朝鮮人は10回殴ったと訴えている。

    日本人は、それに憤って、3回しか殴っていないのに10回殴ったなんて、

    なんてひどい嘘つきだと怒っている。

     

    単純化すれば、そんな話だ。

     

    もう少し詳しくすると、現代の基準で言えば、従軍慰安婦問題で日本は100%の黒・有罪だ。

    なぜなら、それは人身売買にあたるからである。

     

    それでは、当時の社会状況に照らしてみれば、どうなるか。

    黒からグレーそして白まで、様々な状況があったということだ。

     

    「従軍慰安婦問題はでっち上げだ」などどいうのは、間違いである。

    朝鮮半島や(多分、満州や台湾も同じであろうが)戦地ではない場所において

    慰安婦を日本軍が強制的に連行するというような募集はなかった。

    これは真実である。

     

    でっち上げ派は、この一つの真実を拡大して、日本軍の活動地域の全てにおいて

    軍による強制連行はなかったとしているところが間違いなのである。

     

    中国や東南アジアでは、日本軍による慰安婦の強制的連行が、日常的に行われた。

     

    従軍慰安婦問題に憤る日本人は全体として当時の日本軍、

    日本政府が何を行っていたのかを知るべきである。

     

    1909年 伊藤博文暗殺

    本章では、朝鮮人の持つ構造について書いていく。

     

    1909年ロシアのハルピンに訪問中の伊藤博文が朝鮮人・安重根に暗殺された。

    これが、一応現在、史実とされることである。

     

    現在、韓国では安重根は韓国独立の英雄として扱われている。

     

    ところが、彼を取り巻く状況や、彼自身の思想は、それとは少し異なるのである。

     

    伊藤暗殺後の裁判でのやり取りや勾留されていた旅順監獄にて書いていた

    彼自身の未完の書「東洋平和論」から分かる真実の安重根の姿を書く。

     

    伊藤博文暗殺事件 大野芳  新潮社

     

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    現在の韓国での安重根の評価は日本帝国主義に単身、反旗を翻した悲劇の英雄である。

     

    ところが、実際の彼は「日本天皇の下での東洋平和を促進し、その崇高なる意志を妨げる君側の奸を討つ」

    と言っているのである。

    日本天皇は王道として東洋を導く志を抱いているのに、その周りにいる臣下が悪辣で

    私腹を肥やすため帝国主義に邁進していると主張している。

    その元凶が伊藤博文であるとしている。

     

    これは日本人が昔から持ってきた、君主自体は善良だが、

    周りの家臣が悪いやつなのだという態度と同じものである。

     

    そして東洋の未来に対して素晴らしい見識も示している。

    また、その態度も素晴らしく安重根に会った多くの日本人が第一級の人物であると評価している。

    安重根が単なるテロリストであると評する人は一度、彼の意見に真摯に耳を傾けるべきだ。

     

    現代の韓国の安重根の評価では、彼は日本を排除し独立を目指した英雄とされているが

    実際の彼の主張は日本と朝鮮と中国が協力して東洋平和を守ろうというものである。

    その東洋平和を乱す、一部の日本人を排除し、手に手を取り合って東洋を守ろうと言っている。

    その盟主として日本の天皇が立つことも示唆している。

     

    「日本主導の王道による東洋国家の共同体」これが安重根が目指したものである。

    この事実は現代の韓国人には受け入れがたいものであろう。

     

    そして、もっと受け入れがたいのは暗殺した伊藤博文は、むしろ安重根の考えに近いことだ。

    伊藤は朝鮮王室を維持し、日本が保護国として発展させたのち、両国が協力して東洋を守ることを理想としていた。

    例え朝鮮情勢がなかなか日本の思い通りにならぬとも、朝鮮を併合し従わせるようなことはするべきではないと考えていた。

     

    伊藤亡き後、朝鮮併合の流れは加速していく。

    安重根の想いとは逆に世の中は流れていく。

    日韓併合を加速させたのが安重根でもあるのだ。

     

    これについて安重根は暗殺の実行犯ではなく、伊藤の政敵に利用されただけだという説もある。

    私は、この説に近い。日韓併合を回避しようとしていた伊藤を排除したかった日本側の者が

    安重根とは別の暗殺隊を用意し、その出所を隠微するために安重根を利用したというのだ。

     

    この見方は朝鮮にとって、もっと悲劇的である。

    安重根が実行したとされている暗殺は、彼が最も避けたかった事態を推進する者たちに利用されただけだ。

    事態は本人の意思とは正反対の方向に方向に流れていく。

     

    この事実も現代の韓国人には受け入れがたいものだろう。

     

    安重根について調べていて、彼の批判の刃は日本の帝国主義にだけ向いているのではないと感じた。

    その刃は、自ら立ち上がらない朝鮮の国家としてのだらしなさにも向けられているような気もする。

     

    私には彼の絶望感が分かるような気がする。

    自分が如何に動こうとも、ほとんど事態は動かない。

    朝鮮民族も立ち上がらない。

    朝鮮王朝は、このまま滅んでいくのか。

    そして、当人の朝鮮民族も、それを傍観しているだけである。

     

    国家として成熟しない朝鮮王朝、横暴さを隠さない日本人、

    南下の意思を失わないロシア、滅亡の危機にある清帝国。

    その中で朝鮮の悲劇的な運命を予感していたであろう。

     

    それを何とかして避けたいと、やむにやまれぬ想いでなした事件であったか。

     

    それとも、日韓併合も避けがたいことと考え、後世に何か朝鮮民族の反抗の一点を残したくて

    起こしたものであったか。

     

    当然、現代の韓国人には安重根が自分達の民族に向けた批判の意思をくみ取らないだろう。

    それは真実は辛く耐え難いからだ。

    真実を捻じ曲げて、口当たりの良い歴史を再構成する。

     

    私は、この態度について、韓国だけを批判するつもりはない。

    日本人も、同じようなことをやっているのだ。

     

    日本の話をしよう。

     

    日本は1945年に敗北した。

    その日本人の持つ神話は、こうである。

     

    傍若無人な軍部も敗北を重ね、事ここに至って天皇陛下のご聖断を仰ぐしかなくなった。

    それまでは立憲君主として戦争や政治について何も発言することが出来なかった。

    そのときに英邁で慈悲深い陛下は国民を傷つける戦争を止めなければいけないという

    判断を初めてなされ、終戦へと至った。

    終戦後、日本に進駐したマッカーサー将軍は天皇陛下の無私の態度に感動し

    陛下の地位の安泰と日本国民の援助を約束する。

     

    この都合のよい物語は真実だろうか。

     

    まず、戦前の天皇陛下は、しっかりと自分の意志で戦争に対してGoサインを出されていた。

    その後も、敗北を重ねる中で一回でも大勝利をしなければ、有利な講和は望めないのではと

    戦争を継続する。

    敗戦が必至となってからも国体護持の確約を求めて、ポツダム宣言の受諾を保留する。

    最期の段階で、これ以上の国体護持の確約を求めて、被害が拡大し、戦後の講和条件が悪化することを

    恐れ、明確な確証がない中での無条件降伏を受諾するというリスクをとる。

    終戦後、アメリカが天皇体制を維持したのはマッカーサーの個人的な天皇の好印象という

    ナイーブな理由ではなく、天皇制維持がアメリカの戦後戦略に有効であると判断したからである。

     

    マッカーサー自身も日本に、それほど固執していたわけではない。

    彼の目標はアメリカ大統領であった。

     

    マッカーサーの父親は実質的なフィリピンの植民地総督であった。

    彼が日本をそのような目で見ていても不思議ではない。

    マッカーサーには天皇家の宗教を神道からキリスト教に変更させる計画もあった。

    帝国主義の独裁国家を民主的なキリスト教国にすればアメリカ大統領選挙にとって

    これ以上は考えられない良い宣伝材料になるに違いない。

     

    マッカーサーは、日本人が勝手に思い込んでいるような天皇陛下の徳の高さに

    忠誠を約束したアメリカ幕府のマッカーサー将軍ではない。

    彼は自分の目的のため、そしてアメリカの利益のために日本を利用したに過ぎないのだ。

    もちろん、彼の援助で日本国民の多くは飢えを免れた。

    でも、それは彼が天皇や日本人に対して特別な感情を持っていたからではない。

     

    天皇陛下とて日本人のことを心から考えていたかどうかは疑問である。

    自分そして、後世にまで、この制度を維持するために国民とのつながりを

    保たなければならないという統治者の意識の方が優先したであろう。

     

    国体護持の確約を求めて、戦争を長引かせた。

    その間に、多くの人が死んでいった。

    広島・長崎もそれに含まれる。

    その責任は誰にあるのだろう。

    当然、当時の大元帥たる昭和天皇に第1の責任があると私は思うが

    陛下は、どのように考えておられたのだろうか。

     

    陛下の心のうちは分からないが、もう少し言葉を選ばれるべきであると思う。

     

     

    もっとも、あり得る現実は陛下も、多くの日本の指導者と同じで責任を取らない

    典型的な日本の指導者であったのであろうということだ。

     

    マッカーサーに届けられた沖縄に対しての依頼も沖縄の人にとっては惨いものだ。

     

    1947年に天皇陛下は共産主義の影響を心配し、沖縄への米軍の長期駐留を依頼している。

     

    私が問題にしているのは、この天皇のメッセージが実際の米国の政治判断に影響を与えたか否かではない。

    天皇陛下が、わざわざ沖縄への米軍の長期駐留を米国に依頼しているのだ。

    少なくとも、この点については沖縄の人達にとっての慈悲深い天皇陛下は存在しない。

     

    沖縄戦の最後に大田司令官から送られた「沖縄県民斯く戦えり」の電報は天皇陛下の心には、届かなかったと思われる。

     

    恐らく、終戦当時の日本において昭和天皇はトップレベルの英邁な指導者であったであろう。

    その指導者にして、この状態である。

    村一番の神童が都会に行ったら、そこらへんの小学生にも歯が立たない。

    その絶望感、悲しさ、先ほどの安重根の想いに通じるところもある。

     

    どうでしょう。日本人には受け入れたくない話ではないだろうか。

     

    ここで言いたいのは、韓国人も同じように受け入れられない多くの真実を抱えているということだ。

    それを受け入れる難しさを、どうか自分の問題として考えてもらいたい。

    そのために、日本人が持っている神話の欺瞞性を表した。

     

    両国民は共に真実から目を背けているのである。

     

     

    (3)より大きな構造を使うことによって、対立を無くするように動く。

    それでは、どのように対立関係を解消すればよいのであろうか。

     

    対立を超えた大きな構造に生きるしかないのである。

    その構造について書いていこう。

     

     

    ・戦争責任限定論

    これは既に提供されている大構造である。

     

    近代になり戦争が総力戦となると、戦争は一部の者同士の戦いではなく、国民全体のものとなった。

     

    つまり、戦争中は敵国の国民は全て敵なのである。

    ところが戦争が終わると、この状態は甚だ迷惑なものとなる。

    戦後では政治にしても経済にしても、敵であった者たちと協力関係を築かなけれならないからだ。

     

    そこで、戦争責任を限定する知恵が生まれた。

    戦争を行ったのは一部の者たちで、それ以外の大多数の者は責任がないとするものだ。

     

    例えば、第2次世界大戦のドイツの戦争犯罪はナチスの行ったことで普通のドイツ国民には責任がないとされている。

    中国も日本に対して日中戦争は日本軍国主義者という一部のものが行ったことで普通の日本人には責任がないと言っている。

     

    もちろん、この話には欺瞞がある。

    本当にナチスを全て罰したらドイツのかなりの人数を罰しなければならない。

    最盛期のナチス党員はドイツ人口の約1割。国民の大多数もナチスの政策を支持した。

    その場合もアウシュビッツを含む反ユダヤ政策はどこまでドイツ国民に知られていたかはグレーゾーンになる。

     

    そこで実際には過去の出来事を批判するということで罪を免責するということがなされてきた。

    よほどの大物でなければ、ナチスの党員でも許されてきた。日本もこれは同様。

     

    この理屈に沿えば、世代を超えた個人には戦争責任などない。

    ただ、その戦争をどのように評価するかということのみ拘束される。

    つまり、あの戦争は正しかったと言わなければよいのだ。

     

    一番、簡単な方法は、この枠組みを崩さないことだ。

     

    一部の人がひどいことを行った。

    それ以外の人や世代を超えた人達は、そのひどいことを悪として認識していく。

     

    このルールを守れば、今、生きているほとんどの日本人は個人として韓国人に避難されることはない。

     

    例えば、

    韓国人が「昔、日本は私達にひどいことをした」と言えば

    日本人は「それは確かにひどいことだった。でも私には責任がない」と言えばよい。

    それに付け加えるなら「今の多くの日本人も、それがひどいことだと思っている」

    これで完璧である。

     

    「保障や条約は政府間のことなので政府同士が協議をすればよい」

    これで保障問題も個人と切り離すことができる。

     

    ただ、このとき「ひどいことをしたのは日本人だけじゃない」とか

    「最初にやったのはそっちだとか」余計なところに論争をもっていくとややこしくなってくる。

     

    もう一つ付け加えるならば、先祖が罪を犯していたとしても、

    その先祖に感謝の念をもつということは、また別のことだということだ。

    人は誰しも完璧な存在ではない。自らのご先祖様がひどいことをしていたとしても、
    それとは別の次元で、その子孫はご先祖様には感謝すべきなのだ。
    これは人なら誰でも理解できるであろう情の部分の話だ。

     

    感謝と行為の評価は全く別問題だ。


    先祖に感謝することを重視するために、その行為に対して正確な判断が出来ないというのは、
    この問題を混同視しているだ。
     

    後は、このルールと言論の自由の問題だけが残る。

     

    政府の人間は、このルールを壊してはならない。

    つまり閣僚や官僚が「日本が戦時中にやったことは正しかった」などと言ってはいけないのだ。

     

    国会議員ならば、ある程度の自由な発言も可能だろう。でも、それが与党の人間ならば慎むべきだ。

     

    一般の国民は何を言うのも自由だろう。

    ただ、このルールを壊してしまうと大勢の人が迷惑を被る。その理解はしておくべきだろう。

    ルールを無視した発言が大きくなれば、この枠組み自体が壊れてしまう。

    ルール破壊が一部の人の行動である限り、許容される。

     

    先の戦争を新聞各社もあおっていたではないか、ということも、よく聞く。

    確かにそうであろう。そして新聞がそうしていたのは、それを大衆が望んでいたからだ。

    つまり戦争は普通の日本人が、みな望んでいたことなのだという結論になる。

     

    集団の中で異議を唱えることが出来ず、周りの空気を読んでしまう日本人は当時において、

    やはり皆、戦争に賛成していたのであろう。

    私自身は、このように同調圧力を持つ日本社会を嫌悪する。

     

    ただ、やはり、このルールは崩すべきではない。

    そんな時は日本人はみな騙されていたという話を使う方がよい。

    敢えて無意味な争いをもたらすことはない。

     

     

    兄(あに)弟(おとうと)関係からBrother 関係へ

    朝鮮は古くは日本の教師であった。これは事実である。

    つまり朝鮮にとっては、朝鮮が兄、日本が弟という関係が理想なのだ。

    日本は最早、朝鮮に教わることなどないと思っている。

    むしろ、援助しているのは日本の方だと思っている。

    これも事実だ。

     

    この兄(あに)弟(おとうと)関係からBrother 関係にしてしまえばよいのだ。

    英語の brother には、ご存知のとおり長幼の区別がない。

     

    長幼の区別なく、たまたま、その時点で、強い方が弱い方を助ければよい。

    時には逆になる場合もあるだろう。

     

    日韓関係も、古い儒教的な長幼の区別から国際的に通用するBrother 関係になればいい。

    それぞれの政府が、これからは「Brother」になりましょうと宣言すればよい。

     

    この関係の良いところは、どちらが上かという健全な競争が期待できるからだ。

    そして上に位置するものは、下に対する思いやりを持たねばならない

    このことをはっきりさせてしまうのだ。

     

    また、両国は他人ではないから、Brother の悪いところは自由に指摘できる。

    多少の失礼があっても Brother だから許せよとなる。

     

    実は、このアイデアは深謀遠慮の策である。

     

    私は近代の李氏朝鮮の国家体制を評価しない。基本的にダメな国であったという認識だ。

    しかし、それが他人事ではない時代が来るのではと思うときがある。

     

    昨今の日本の劣化が著しい。少子高齢化は簡単に解決しない問題ではある。

    ただ、その少ない子供たちを本当に優秀に育てることが出来ているのか。

     

    日本が李氏朝鮮のようにダメな国になる時がくる気がする。

     

    現在、日本ではがむしゃらに競争するようなことは嫌われる。

    スマホでの簡単なコミュニケーションに依存する子は書き言葉が書けなくなっている。

    書き言葉が出来ないと論理的思考が出来なくなる。

    論理的な思考がなければ学習することができない。

    日本では能力の2極化が恐ろしい勢いで進んでいる。

    これは世界的な現象かもしれない。

     

    方や韓国は恐ろしいほどの学歴競争社会だ。

    私自身はそんな社会で暮らしたいとは思わないが、そこで育った優秀な人材は魅力的だ。

    韓国で仕事を見つけられない優秀な学生が、2カ国語、3カ国語を引っ提げて日本での就職を目指すという。

    元々、マーケットが小さい韓国に生きる韓国人は海外で稼ぐことに躊躇しない。

    日本人は、日本でまったりと生きていくことが出来る。

     

    この危機感の差は、将来、とんでもない差になって日本に返ってくるのではないか。

    そんな気がする。日本がどうしようもなくダメな国なるかもしれぬ。

    なぜなら、日本も朝鮮も悪いところはそっくりだからだ。

     

    そんなとき、Brotherならば互いに学び合える気がする。

    両国の若いエリートが本音で話せばいい。

    日本人と韓国人が両方の言語を取っ払って英語で話せれば、私達はもっと本当のことが言える。

    そのとき、そこにいるのは従来の日本人と韓国人を超えた何かだろう。

     

     

    ・社会的負債論

    本論はエビデンスは全くない。ただ、この論理が全世界に広がれば社会はより長期的な視野で動くだろう。

     

    一つの社会は、いろいろな形で負債を背負う。

     

    例えば、アメリカ合衆国は、未だに奴隷制の負債を背負っている。

    黒人問題の社会に与える影響は大きい。

    奴隷貿易や奴隷を使った産業で過去に稼いだ分よりも、黒人問題で現代から未来までの

    社会が対処しなければならない負債の方が多いのではないか。

    アフリカから一度、連れて来た黒人を、元に戻すことなど出来はしない。

    アメリカ社会は大きな負債を背負ってしまったのだ。

     

    ヨーロッパも同じである。ヨーロッパは西洋文明という人類の宝をもたらした。

    その西洋文明から人間の自由や平等といった崇高な価値が産まれた。

    その反面、植民地を全世界に拡げ、収奪と迫害の歴史を作った。

     

    現在は、貧しい移民がヨーロッパに流入している。

    その多くが白人ではない。イスラム教や黒人だ。

    人間の自由と平等を大切にするなら、彼らを拒否することができない。

    しかし、拒否できなければ西欧の白人のキリスト教世界が破綻する。

    自分達のキリスト教世界を守るため国境を閉じれば、人間の自由と平等の尊重という、

    もう一つの西欧の宗教を否定することになる。

     

    どちらを選択しても厳しい未来がヨーロッパを待っている。

    この原因はヨーロッパが今まで世界で行ってきた悪徳が自身に返ってきていることではないか。

    私は、そのように思う。

     

    一方、日本が朝鮮に植民地として行ったことは、西欧が植民地に行ったことと比べて、それほどひどくはない。

    であるから、日本は朝鮮に謝る必要はないという論理がある。

     

    確かに、そうかもしれない。しかし、西欧の悪徳がこれから西欧自身に返ってくるとしたらどうだろう。

    西欧には恐ろしい運命が待ち受けている。

     

    日本は西欧ほど朝鮮に、ひどいことはしていない。

    私達は、それ程、負債を背負ってはいないのだ。

     

    もし現在の日韓両国の対立が、もっと激化するのならば、どちらが勝利するにしても

    将来的には、ろくなことにはならない。

    それは私達に大きな負債を背負わせることになるだろう。

     

    私達は数100年先の我が社会で生きる子孫たちのためにこれ以上、負債を積み上げてはならないのだ。

     

    この論理にはエビデンスが全くない。

    だから宗教の一種である。

    しかし、これは未来の全世界で使える宗教になるかもしれない。

     

    一時的な感情や短期的な利益を抑制すること。

    将来の負債を背負わないこと。

    もし、この思考が全世界に拡がっていけば、世界はより長期的な視野で動くことができる。

     

     

    終わりに

    ここまでお読みいただいた皆さんに御礼を申し上げます。

    長い旅路お疲れさまでした。

     

    現在の日本で長文をきちんと読むことが出来る人間は恐らくは1割以下でしょう。

    それほど少数の人しか言葉での議論を出来る能力を持っていないのです。

    皆さんはその力を持つ。そして、これからの社会を支える希望の星になるであろう。

     

    ありがとう。共に未来へ。

     

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